このページの目的は私たちの研究内容を判りやすく説明することです。ご感想、質問を待っています。
血管は、全身へ酸素や栄養分、老廃物、水分などを運ぶ血液の通路です。多くの血管が器官をつないでおり、循環系をつくりあげています。しかしながら、血管は、個体発生のはじめから用意されていたわけではありません。発生から個体を形成していく過程で、何もなかったところに血管ができて伸びていき、循環網を構築します。このような血管形成を、脈管形成vasculogenesisといいます。これに対して、循環網の形成が終わり、その後既存の血管から枝分かれして新しい血管が形成されることを、血管新生angiogenesisといいます。
血管新生はいくつかの段階からなりますが、血管新生促進因子が産生されることがその引き金になります。血管新生促進因子は、血管内皮細胞の遊走や増殖を促進する活性をもつものが多く、最も強力で生理的に重要な分子として知られているのが血管内皮増殖因子vascular endothelial growth factor (VEGF)です。VEGFが内皮細胞の受容体に作用すると、内皮細胞はマトリックスメタロプロテアーゼ(MMP)を分泌します。MMPは血管の基底膜や間質成分を分解し、血管透過性を亢進させます。そこに内皮細胞が遊走、増殖することにより新しい管腔ができ、その周囲に周細胞や平滑筋細胞が支持して安定した血管となります。
個体に必要な血管網が形成されると十分な循環が成り立つので、女性の妊娠にともなう子宮内膜や胎盤の血管新生を除けば、健常な成人では血管新生はおこりません。成人で血管新生がおこるケースは二つ考えられます。一つは、身体に大きな傷ができて組織修復がおこるときで、創傷治癒の血管新生といい、身体にとって必要な応答です。もう一つは、がん(悪性腫瘍)や大きな慢性炎症の伸展に関与する場合であり、身体にとって好ましくない応答です。では、身体にとって好ましくない応答「悪性腫瘍や大きな慢性炎症の進展」をブロックするにはどうすればよいでしょうか?
固形がん(悪性腫瘍)の場合、がん細胞の組織が成長するためには、その急速な細胞増殖に必要な酸素・栄養素を獲得せねばなりません。その供給路として、がんは新しい血管を誘導するのです。つまり、がん組織ではVEGFをはじめとする血管新生促進因子が分泌されます。新生された血管は栄養路となるだけでなく、成長した癌組織からの癌細胞の転移路にもなります。
では、この癌血管新生を抑制するとどうなるのでしょうか?その研究は、ハーバード大学のFolkman教授らにより研究が行われました。その結果、血管新生を阻害すると癌組織は成長できずに退縮、場合によっては消失することが判明しました。また、がんの転移もおこりにくくなりました。言うなれば、“がんの兵糧攻め”です。逆に言うと、がんがある大きさ以上に成長するには、血管新生が必須であることがわかりました。このことから、血管新生を抑制しがんを治療しようという方法が考案され「がんの血管新生抑制療法」と言われています。
従来のがんの治療法は、外科的切除(手術)、放射線、抗癌剤が主なものでした。近年、これらの治療法の質の向上に加えて、次々と新たながん治療法が考案されています。がんの血管新生抑制療法もその一つです。血管新生抑制剤と従来の抗がん剤と異なる点は二つあります。抗がん剤は直接がん細胞を殺傷しますが、血管新生抑制剤は血管を止めることで間接的にがん細胞にダメージを与えます。二つめは、血管新生抑制剤は新しい血管の構築だけを抑制するもので、血管以外の組織や既存の血管に影響を及ぼさないのです。上記したように、がん病巣以外の正常組織では血管新生はおこりませんから、標的はがん病巣の新生血管部位だけです。抗がん剤は作用機序的にどうしても正常細胞、特に増殖組織に影響し、それが副作用として出てしまいますが、血管新生抑制剤は副作用の少ない薬物として期待されています。
血管新生抑制剤だけでがん治療というわけではなく、その他の抗癌療法とうまく組み合わせることで、お互いの効果を高め合うことができ、副作用の軽減にもつながります。すでに臨床適用されている血管新生抑制剤もあり、VEGFの中和抗体であるベバシズマブは大腸癌や膵臓癌で有効性が確認されています。血管新生抑制剤は多くの候補が控えていますが、市民権を得たものはまだわずかであまりレパートリーがありません。臨床の場においていろいろなケースに対応するためには、異なる種類の血管新生抑制剤を準備しておくことが望ましいわけです。VEGFのような血管新生促進因子を遮断する以外に、血管新生を抑制する作用点もたくさんありますので、まだまだ治療薬を探索・開発していく必要があるのです。